マンテーニャ 『聖セバスティアヌス』 1459頃
68×30cm ウィーン美術史美術館

15世紀北イタリアの画家マンテーニャは生涯に3点のセバスティアヌス像を描きましたが、
こちらはその中でも最も早く描かれたものです。

マンテーニャは古代美術の研究を通して正確な人体表現と奥行きのある風景描写を達成しました。
この作品に見られる彫刻的なセバスティアヌスの姿にも、その特徴が良く表れています。

セバスティアヌスは大理石の柱に縛り付けられ、
幾多の矢に貫かれているにもかかわらず身じろぎすら出来ない苦悶のさなかにいます。
雲のなかの騎馬像は彼がもとローマの兵士であったことを示しています。
また柱頭のアカンサスの葉と幼子の頭部は蘇生を表し、
セバスティアヌスに救済が訪れることを暗示します。



マンテーニャ 『聖セバスティアヌス』 1480頃
275×142cm ルーヴル美術館

こちらは後年に描かれた作品です。
人物像はより硬質なものとなっていますが、
痛みに耐える苦しみの姿は前作のほうがより強く感じます。



マンテーニャ 『聖セバスティアヌス』 1506頃
210×91cm ヴェネツィア カ・ドーロ

マンテーニャが最晩年に描いたセバスティアヌスです。
彼の体には17本もの矢が刺さり、苦悶のあまり口元も歪んでしまっています。
こちらは前2作とは異なり、物語の一場面ではなく純粋な礼拝図として描かれています。

セバスティアヌスは3世紀ローマの軍人で皇帝の親衛隊の士官でしたが
当時禁教であったキリスト教に帰依していました。
そのことが皇帝に露見し処刑されることなり、矢を射掛けられますが、
放置されていた彼のもとに通りかかった女性たちに介抱されて一命を取り留めます。
そうして再び皇帝の前に現れたのですが、棍棒で撲殺されて殉教します。
セバスティアヌスは弓矢で命を落としたのではありませんが、
彼の「殉教」には矢が欠かせないものとなっています。

中世、病気はアポロンが放つ矢によって起こると考えられていたため
矢で射られたセバスティアヌスはペストから身を守る守護聖人として崇められました。
病に苦しむ人々にとってセバスティアヌスは
すべての苦しみを一手に引き受けてくれる存在だったのでしょう。

マンテーニャはルネサンスの画家ですが、
彼の描くセバスティアヌスは中世以来の伝統的な聖人像にのっとったものといえます。
しかしこの頃から「守護聖人」として以外の意味合いを持ったセバスティアヌスが描かれるようになります。



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