眠り姫と世紀末―バーン・ジョーンズを中心に


「眠れる美女」の物語といってまず思い浮かぶのは「眠り姫」の物語です。
ドイツのグリム童話集では「いばら姫」Dornroschenとして、
またフランスのシャルル・ペローの物語では「眠れる森の美女」La belle au bois dormant として語られています。 この物語の原型はギリシア神話にあるとされており、古くから愛好されてきました。

この物語が世紀末においてことさら愛好されたのは
世紀末の芸術家たちは「眠れる美女」に理想の美を見出したからです。
とくにバーン・ジョーンズは「眠り姫」の題材に何度も取り組みました。

バーン・ジョーンズは「眠り姫」連作の題名を「いばら姫」(The Brire Rose)としています。
これはドイツの呼び方に近いものです。

なぜ「眠り姫」が「いばら」に結び付けられるのかについては
海野弘著「魅惑の世紀末」に詳しく記述されています。
この本によるとフランス語の「眠れる」dormantとドイツ語の「刺、茨」Dornには
同じ“dor”という語根があるということが記述されています。
つまり「眠り」と「刺、茨」は相通じるところがあるのです。
「眠り姫」の物語では眠り姫は糸巻き棒を突き刺して眠りに落ちることになっています。
糸巻き棒すなわち鋭い「刺」によって彼女の「眠り」=「死」が引き起こされるのです。
そして彼女を取り囲む「いばら」=「死」の原因を取り除かない限り
眠り姫は目覚めることはないのです。

バーン・ジョーンズの連作において注目されるのは、
「眠り姫」のクライマックスシーンである王子の口づけによって目覚める姫が描かれていない点です。
彼の作品の世界では姫も王も廷臣たちも永遠に眠り続けます。
バーン・ジョーンズは母の命と引き換えにこの世に生を受けました。
彼は生涯母への罪の意識、
女性に対する原罪的意識から逃れることが出来ませんでした。
それゆえ「眠り姫」を永遠に「いばらの森」に封じ込めてしまったのです。

バーン・ジョーンズの描く「眠り姫」のモデルは
バーン・ジョーンズの娘マーガレットです。
彼はこの作品を娘に贈りました。
彼はまた娘の処女性も「いばらの森」に閉じ込めておきたかったのです。

バーン・ジョーンズは次のような言葉を残しています
「私は絵によって、これまで決して存在したことがなく、これからも存在しないような、あるもののロマンティックな夢を表現する―いかなる光よりも輝く光のうちに、―いかなる人もはっきりと見たり、思い出したりできず、ただあこがれることだけが出来るだけの国において」

いばらに囲まれて眠り続け、永遠に目覚めることのない王国は
バーン・ジョーンズにとっての理想の王国だったのでしょう。
このように現実の世界にではなく、幻想の世界に理想を見出していたのは彼だけではありません。
19世紀末、近代物質文明が席巻する現実世界に幻滅した芸術家たちは
夢の世界に逃避しようとしました。
それゆえ「眠れる美女」の姿に理想美を見出したのです。