ガウディ,アントニオ

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ガレ,エミール

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キーツ,ジョン John Keats (1795-1821)

英国ロマン派の詩人。ロンドンに生まれる。

1814年最初の詩「スペンサーにならいて」を書く。このころ詩人のシェリーと知り合う。

1817年処女詩集「1817年詩集」が刊行される。

この詩集では詩人としての目的を人間主義の基盤に置き、牧歌的な詩の美学を展開している。

1818年第2作の長篇物語詩「エンディミオン」が刊行される。

1819年「聖アグネスの前夜」「つれなき美女」「レイミア」などを書く。

1820年喀血を見る、その後は闘病しながらも詩作を続け、イタリアへ転地療養へ行く。

1821年2月23日ローマにて死去。

ローマ、スペイン広場右手の臨終の住居はキーツ・シェリー記念館として保存されている。

バラッド「つれなき美女」で表現された美女の姿は「宿命の女」の原点となり、

ウィリアム・モリスは「この詩こそ、まさにラファエル前派のすべての詩を生み出す芽生えとなった」と述べ、

マリオ・プラーツは「スウィンバーンの『ヴィーナス賛歌』からモローの絵画にいたるまで

ラファエル前派と象徴主義者の全世界を、その胚芽にふくむ作品」と記している。

 

 
クノップフ,フェルナン Fernand Khnopff (1858-1921)

ベルギー象徴主義の画家、彫刻家、版画家。フランドルのブルジョワ階級の家に生まれ、幼少期をブリュージュで過ごす。

1864年一家でブリュッセルに移り住み、1875年ブリュッセル自由大学法学部に入学。

フローベールやボードレールらの文学に親しむ一方、グサヴィエ・メルリに師事。

1876年美術アカデミーに入り、デッサンと絵画を学ぶ。

1877-1879年の間パリに滞在。

ルーベンスやドラクロワ、パリ万博でモローやバーン・ジョーンズの作品に影響される

1883年芸術家グループ「二十人会(レ・ヴァン)」を創設。

1885年薔薇十字会を主催するペラダンと知り合い、薔薇十字展に出品。

1898年ウィーン分離派第1回展に出品。その作品は好評を博す。

クノップフは19世紀末に盛んになった神秘学や秘教的理論に魅せられ、作品にもその精神を見ることができる。

彼の仕事のすべては事物の本質そのものを、芸術の本質を暗示するということに向けられていた。

「見捨てられた街」(1904:ベルギー王立美術館)は彼が幼少期を過ごしたブリュージュを象徴的に表現したものである。

「私は私自身に扉を閉ざす」(1891:ノイエ・ピナコテーク)はクリスティナ・ロセッティの詩にインスピレーションを受けたもので

モデルは画家が終生愛し続けた妹マルグリットで、純粋始原を求めて苦悶する姿を描いている。

「愛撫」(1896:ベルギー王立美術館)では誘惑(スフィンクス)と崇高な芸術(青年)を描いている。

これらののような神秘的な静けさと憂愁に包まれた作品は、国際的にも影響を与えた。

 

 
クービン,アルフレート

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クリムト,グスタフ Gustav Klimt(1862-1918)

ウィーン分離派を代表する画家。

ウィーン近郊の製版工の父の元に生まれる。

1876年14歳で工芸美術学校に入学し、1882年までここで学ぶ。

1880年代の初め同級生のフランツ・マッチュ、弟のエルンストとともに装飾画を制作する工房を開き

多くの注文を受け、評判となる。ウィーン美術史美術館の装飾画も手がけている。

クリムトは建築装飾絵画の制作のため古代美術の研究にいそしみ、寓意や歴史考証に精通した。

このころの彼の装飾画は当時ウィーンで人気の高かったハンス・マカルトの影響を受けた画風であった。

1890年代に入ると古代から近代にいたる様々な芸術の様式を吸収しながら、独自の画風を確立していく。

「ゾニア・クニプスの肖像」(1898:オーストリア美術館)は独自の画風の現れた最初の作品の一つである。

1897年にはウィーン分離派の結成に参加し、初代会長となる。

ウィーン大学講堂のために描かれた「医学」(1901)や第14回分離派展のために制作された「ベートーヴェン・フリーズ」(1902)は

公衆の趣味から逸脱して個性的な思想の実現を目指す意図の明らかな作品で、大きなスキャンダルを巻き起こした。

この後ラヴェンナ旅行を経てビザンティン美術への関心が蘇り、

以後十年間にわたってモザイク技法と金を駆使して、ビザンティンやエジプト美術に通じる要素を強調した作品群を描いた。

このころの代表作に「接吻」(1907-08:オーストリア美術館) 「ダナエ」(1908: 個人蔵)がある。

これらに見られるようなきわめて繊細な表現と、見るものを挑発するような官能性が彼の作品の大きな特色である。

 

 

クリンガー,マックス Max Klinger(1857-1920)

ドイツの画家、版画家、彫刻家

カールスエーエの美術アカデミーを卒業後、国内外を転々とし、

1893年からライプツィヒに住み、1897年にはグラフィック・アート・アカデミーの教授に就任した。

彼は400枚もの版画を残しているが、それらの作品群を通じて生活や詩の世界のみならず、

夢や社会、神話に関する自分自身のイメージをも発展させ、それを表現していった。

音楽も彼に霊感を与え、版画集「ブラームス幻想」や彫刻「ベートーヴェン像」を制作している。

リヒャルト・シュトラウスやロダンとも交友があった。

 

 

ゴーギャン,ポール

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ゴッホ,ヴィンセント・ヴァン

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