ジョヴァンニ・セガンティーニの作品は 大原美術館所蔵の「アルプスの真昼」のように アルプスの自然や人々を写実的な立場から描いたものと アルプスを舞台に寓意的・象徴的主題を描いたものの 二種類に大きく分けられます。 セガンティーニは明るく健康的な“アルプスの画家”であると同時に “愛と死を描く画家”でもありました。 セガンティーニが多くの世紀末象徴主義者たちと大きく異なるところは 「母性」をテーマにした作品を数多く手がけている点です。 これは画家の生い立ちと深い関係があります。 セガンティーニの母は彼が七歳のときに病死しますが 以後彼には自分が母を死なせたという意識がこびりついて離れず、 やがて亡き母を理想化するようになっていきます。 僕は女性を常に、彼女がいかなる境遇にあろうとも、愛し、敬ってきた。ただし彼女が母たりうるという条件のもとに セガンティーニ「自伝」より 「悪しき母親たち」と「逸楽の懲罰」は 女の性(さが)に溺れ、母としての愛と務めを忘れた悪しき母たちが 雪と氷に閉ざされた空間で懲罰を受ける姿を描いたものです。 「悪しき母親たち」は イタリアの詩人イリカの詩「涅槃」をもとに描かれた作品で 罪を犯した女は、亡霊となって荒野をさまよった後 母親としての役割に目覚めることによって その罪が贖われるという主題を描いています。 そして「逸楽の懲罰」は インド、パンジャブ地方に伝わる詩篇をもとに 母性よりも邪淫を選んだ女たちが 永遠に「氷の砂漠」をさすらうという刑罰を受ける姿を描いています。 この二つの作品の根底に流れるのがニルヴァーナです。 ニルヴァーナ(涅槃)とは一般的には一切の煩悩を絶ち 輪廻から解放された悟りの境地を現しますが、 セガンティーニにとってニルヴァーナとはこの世の地獄にほかなりませんでした。 「私は邪淫の女を雪と氷のニルヴァーナの中に罰する」とコメントしています。 輪廻転生の輪の外に追放され 永遠の劫罰をうける罪深き母たちですが その姿は美しく、苦しみよりもかえって悟りに近づいているようにも思えます。 19世紀において女性は「よき妻、よき母」であることが求められていました。 21世紀の現代においては 「妻」となり、「母」となることだけが女性の人生ではありませんが 子を産み母となった以上は、「母」としての務めを果たす必要があります。 母としての愛と務めを忘れてしまった「母」が後を絶たない現代、 セガンティーニの描く「ニルヴァーナ」の世界を じっくりと見つめなおす必要があるように思えます。 |