我が心は過去に涙す
 
 
 

グレゴワール・ル・ロワ(1862-1941)はベルギー象徴派の詩人で
「青い鳥」や「ペレアスとメリザンド」の作者モーリス・メーテルリンクの友人です。
1889年にパリの出版社より詩集「我が心は過去に涙す」を発表しました。
クノップフはこの詩集の扉絵を手がけます。
それが「グレゴワール・ル・ロワと共に―我が心は過去に涙す」です。

この作品はいくつかのバージョンがあります。
私は展覧会で過去3回この作品を見ました。

 世紀末ヨーロッパ 象徴派展(1996:高松市美術館)
初めてこの作品と出会った展覧会です。
このとき出展されていたのは 1889年 50×29.5cm 個人蔵 の作品です。
空の部分に入れられたハイライトが
モノトーンの画面のアクセントになった作品です。

 ベルギー象徴主義の巨匠展(1997:高知県立美術館)
二つのバージョンが展示されていました。
(共に1889年 ニューヨーク The Hearn Family Trust所蔵)
一つは大きさは23.5×14.6cmと半分のスケールですが、
高松で展示されていたものと同じく空にハイライトが入っていました。
今回の画像はこちらを使わせていただいております。
もう一つは鉛筆・色鉛筆のみで描かれたもので
大きさは23.5×14.5cmです。

 知られざる ベルギー象徴派展(2005:尾道市立美術館)
1889年 25.5×14.5cm 個人蔵 の作品です。
以前に見た作品よりも全体に白っぽい作品でした。

クノップフは扉絵を描くのに際し
本の内容を忠実に再現するのではなく
本にこめられた魂を表現しようとしました。
それは過去の記憶と結びついたノスタルジーを表現することでした。

薄もやに煙るように浮かび上がるブリュージュの街は
遠い記憶がよみがえり、また失われてゆくさまを表しています。
女性が唇を寄せる鏡は「過去」を映し出すものであり、
彼女はその失われてゆく過去を惜しむかのように
鏡に映る自らの姿に口付けています。

19世紀末多くの人々は過去を振り返ることなく
新しい時代に向かって歩み続けていました。
その一方で失われたもの、忘れ去られたものが数多く存在しました。
クノップフにとってのブリュージュとは
「失われた過去」の象徴であるように思えます。
人間前を向いて生きていかねばなりませんが、
時には足を止めて過去の記憶に心を寄せることも必要な気がします。