J.E.ミレーの「オフィーリア」はシェイクスピアのテキストを忠実に視覚化しています。 彼女の周りを流れる花は彼女の運命を象徴しています。 ●パンジー・・・物思いとむなしい恋 ●菫のネックレス・・・堅い純潔と夭折 ●ポピー・・・死の花 ●忘れな草・・・「私を忘れないで」 彼女の髪と衣服は水中に引き込まれ、周囲の水草と一体化しています。 ミレーは死を美しくもロマンティックなものとして受け留め、 水との融合の中で死ぬ女の最後の生命の輝きをとらえています。 輝かしい色彩で描かれた花々や緑の木々は、 死にゆくオフィーリアの最後の生命の輝きとしてみることもできるでしょう。 そして受難のキリストの血を象徴するコマドリが彼女の頭上に描かれているのは 彼女に救済が約束されていることを表します。 この作品のモデルを務めたのは後にロセッティの妻となるエリザベス・シダルです。 彼女は帽子店で働いていたところを見出され、 ラファエル前派の画家たちのモデルとなりました。 ミレーは「オフィーリア」を制作するにあたり、 「自然に忠実」というラファエル前派の原理に従い、 実際にシダルに中世風のドレスを着せ、浴槽に浮かべて彼女を描きました。 浴槽は下からランプで温めていたのですが、 作品制作に熱中していたミレーはランプの火が消えてしまったことに気づかず 冷たい水に黙って耐えていたシダルはひどい風邪をひいてしまいました。 その後シダルはロセッティ専属のモデルとなり、 やがてロセッティと結婚しますが、その結婚生活は不幸なもので 彼女は事故とも自殺とも取れるような死を迎えることとなります。 エリザベス・シダルはいくつかの詩を書いています。 その一つに「主よ、お傍に行ってもいいでしょうか」があります。 主よ、今日私はお傍に行ってもいいでしょうか? 私のこの生は悲しく、凍りついています。 まるで凍った川の中の百合のように。 私は太陽を見上げています。 主よ、主よ、失われた私を見捨てないでください。 彼女はこの詩の中で自らを「凍った川の中の百合」にたとえています。 この時彼女は「オフィーリア」のモデルを務めた時の経験を思い浮かべていたのでしょう。 |