キュビスム(立体派)

1907〜08年頃にピカソが「アヴィニョンの娘たち」によって始められた。

同時期にブラックもキュビスム的作品の制作を始め、レジェ、デュシャンもそれに続いた。

キュビスムは対象を幾何学的に分析し、

そのすべての様相をあらゆる視点からひとつの画面に固定しようとするもので、

視覚よりも概念に忠実なレアリスムの一種である。

ピカソがキュビスムを創始したのはセザンヌの影響が大である。

象徴主義とキュビスムの関係をあげておくと、

ピカソは象徴主義の文学者の集まるカフェ・クロズリー・デ・リラの文学の集まりに顔を出していた時期があり、

マラルメとも交流している。

またピカソは当時流行した概念である四次元についてしばしば語ったという。

数学者以外の人間にとって四次元とは理論的な問題ではなく、

「日常生活の背後に潜む神秘的な『もうひとつの次元』、日常の体験よりも重要な次元」を意味していた。

フィリップ・クーパー「キュビスム」より


 
 

クロワゾンとは「仕切り」を意味し、

仕切りのような太い輪郭線を描いて、その中に色彩を平坦に施す手法をさす。

ゴーギャンはクロワゾニスムを用いて「黄色いキリスト」のような

装飾的で象徴的な作品を描いた。


 
 
ケルムスコット・プレス 

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印象主義との対抗のうちに育った世代で、狭義にはセザンヌ、ゴーギャン、ゴッホを指す。

共通のスタイルはないが、セザンヌがキュビスムを、ゴーギャン、ゴッホが表現主義を予告するなど、

20世紀絵画への寄与は極めて大きい。

しかし近年ゴーギャン、ゴッホはむしろ象徴主義の画家であるとみなす見方も現れている。


 

 

19世紀末はオカルトが流行した時代であり、降霊術に興味を抱いた詩人・画家は数多くいた。

ヴィクトル・ユゴー「諸世紀の伝説」(1859年)所収の一遍の詩は“こっくりさん”の語った内容を記したものであるといわれ、

ロベール・ド・モンテスキュー伯爵とエミール・ガレの間で交わされた書簡には降霊術の用語が多数用いられている。

また、ロセッティは友人と降霊術の実験を繰り返している。