こちらの音楽は"Shingaiのバレエの小箱"様の作成したMIDIをお借りしております。
音楽:プーニ「 『パ・ド・カトル』より〜アダージョ」



「パ・ド・カトル」
左からカルロッタ・グリジ、マリー・タリオーニ、ルシール・グラン、ファニー・チェリート


「パ・ド・カトル」とは「四人の踊り」という意味ですが、
バレエの演目としては1845年にロンドンで初演されたものを指します。
当時のトップバレリーナ四人を一つの作品に共演させるために作られました。


ロマンティック・バレエは現在踊られているバレエの形式のもととなったもので
1830年代から60年代にかけて盛んでした。

ロマンティック・バレエにおいては
「ラ・シルフィード」「ジゼル」のような妖精や死霊が登場する幻想的な題材や、
「ラ・バヤデール」「海賊」のような異国が舞台のエキゾチックな題材が好まれました。


ロマンティック・バレエの担い手は
卓越した技術と美貌を併せ持つバレリーナたちでした。
  

 
左:「ラ・シルフィード」
中:「フローラとゼフュロス」
右:「ラ・バヤデール」


上の三点はロマンティック・バレエの第一人者マリー・タリオーニを描いたものです。
タリオーニはイタリア人振付師の父とスウェーデン人歌手の母の間に生まれました。
彼女の一族はダンサー、作曲家、女優などを輩出しています。

現在「バレエ」といえば、爪先立ちで踊る「ポワント」を連想しますが、
これを最初に行ったのがタリオーニであるといわれています。
妖精や死霊などこの世ならぬものを演じるために考え出した技法がポワントであるといえるでしょう。

タリオーニはロンドンやパリでも踊りましたが、
彼女が最も人気を博したのはサンクト・ペテルブルクであるといわれます。
当時ロシアでは「優美さの理想、舞踊の理想、演技の理想、それはタリオーニだ」と評されました。




「ジゼル」


イタリア出身のバレリーナ、カルロッタ・グリジによるものです。
グリジは1841年の「ジゼル」初演でジゼルを踊り、この成功で名声を得ました。




この絵はファニー・チェリートが踊る姿を描いています。
演目は不明ですが、背景にトルコ風のモスクが描かれています。




ファニー・エルスラー


エルスラーはタリオーニと並ぶロマンティック・バレエの代表的バレリーナですが、
妖精のような清純な踊りを得意としたタリオーニに対し、
エルスラーは情熱的・官能的な踊りで観客を魅了しました。
演技力ではエルスラーのほうが勝っていたとも言われます。
  

ヨーロッパ各地で絶賛されたロマンティック・バレエですが、
その隆盛はタリオーニ、エルスラーを初めとするバレリーナたちの魅力に負うものが大きかったことと、
芸術全般においてロマン主義が後退し自然主義が台頭したことによって
1870年代以降衰退していきました。
その後ロシアで現在に至るクラシック・バレエの形式が確立され、
20世紀に入ってからバレエ・リュスによって西欧へもたらされることとなります。