水の中の百合―オフィーリア
 
 
 
小川のほとりに柳の木が斜めに立ち、
白い葉裏を流れに映しているところに、
オフィーリアがきました。
キンポウゲ、イラクサ、ヒナギク、
それに、口さがない羊飼いは卑しい名で呼び、
清純な乙女たちは死人の指と名づけている
紫蘭の花などを編み合わせた花冠を手にして。
あの子がしだれ柳の枝に
その花冠をかけようとよじ登ったとたんに、
つれない枝は一瞬にして折れ、
あの子は花を抱いたまま泣きさざめく流れに
まっさかさま。裳裾は大きく広がって
しばらくは人魚のように川面に浮かびながら、
古い歌をきれぎれに口ずさんでいました、
まるでわが身に迫る死を知らぬげに、
あるいは水のなかに生まれ、
水のなかで育つもののように。
だがそれもわずかなあいだ、身につけた服は
水をふくんで重くなり、あわれにもその
美しい歌声をもぎとって、川底の泥のなかへ
引きずり込んでいきました。
シェイクスピア「ハムレット」より 小田島雄志訳


上に掲げたのは「ハムレット」第4幕第7場において
王妃ガートルードがオフィーリアが溺死した時の状況を
オフィーリアの兄に語り聞かせている台詞です。

このようにオフィーリアの死は舞台の上では実際に演じられるわけではなく、
美しい言葉で語られるのみとなっています。
それゆえに多くの画家が「オフィーリアの死」の場面にインスピレーションを授けられたようです。

ウォーターハウスは3点のオフィーリアを制作しています。
1894年制作の「オフィーリア」ではシェイクスピアの韻文に語られた細部の描写が随所に見られ、
彼女の乱れた心や無力感をよく伝えています。
川へ張り出した枝に腰掛けて膝には摘んだばかりの雛菊をのせ、
これから花冠を編もうとしているかのようです。
彼女を呑み込むこととなる暗い小川には睡蓮が咲いています。
このオフィーリアは
まさに「水のなかで生まれ」「水のなかで育つ」妖精のような風情で描かれています。
彼女の表情やしぐさにとても惹かれてならない作品です。
 
1910年版の「オフィーリア」はロイヤル・アカデミーに展示された作品です。
場面の状況は花を摘んだオフィーリアが小川のほとりにやってきたところです。
彼女は草原に出かけ、自分の髪を飾る花冠を作ろうと野に咲く草花を集めます。
花を摘みながら彼女はそれぞれの花の名と
その花に結びついている象徴的な意味を口ずさみます。
この作品によってウォーターハウスは自らがロマン派とラファエル前派の伝統に連なることを
意識的に肯定しました。
1910年版「オフィーリア」は
技法的にはラファエル前派的な主題と印象主義的手法を結び付けています。
オフィーリアの顔は丹念に描かれていますが、
前景の草叢や背景の小川、ドレスの裳裾などは印象派的なラフなタッチで表現されています。
ウォーターハウスは1880年代以降英国絵画を二分してきた
ラファエル前派と写実主義の伝統の溝を埋めようと試みている点で特異な存在であるといえます。

オフィーリアは恋人ハムレットに捨てられ、
父ボローニアスを殺害されたことによって狂気に陥ります。
そして狂気のまま水の中での死を迎えることとなるのです。
このオフィーリアの姿は19世紀英国の女性の象徴的イメージともとらえられます。
当時男に誘惑されて捨てられた女は「傷物」とされ、
世間からは相手にされなくなってしまいました。
そういった女たちが多くとった手段が入水自殺です。
オフィーリアは狂気の末の事故死でしたが、
はたして彼女は本当に狂気に陥っていたのでしょうか?
ハムレットが復讐のために狂気を装ったように、
もしかすると彼女も愛に殉じて死を選んだのではなく、
復讐のために死を選んだのかもしれません。