世紀末の芸術家たちは、優雅で高貴な姿態と 緩やかに曲線を描く細く長い首を持つ白鳥を好みました。 象徴主義者たちは白鳥の持つ メランコリックな要素と性的なものとの結びつきを重視しました。 白鳥は、白鳥が滑ってゆく水のように無垢で冷たい美の象徴とされました。 ボードレールは「悪の華」所収の詩の中で白鳥と女性を同一視し、 リルケは「ユーゲントシュティルの白鳥」を 此岸の惨苦から彼岸の平穏への救済の象徴としています。 重たく、さながら縛られたもののように進むこの惨苦は 白鳥のなされざりしあゆみに似る。 そしてわれらが日々生きる根底の手応えを失うことである 死ぬことは、 白鳥の不安げに水に止まるさまに似る。 白鳥をやさしく受け入れ、 かれがこよなくひそやかにまた確実に いやましに稚なく王侯の気風で いやましに悠然とあゆみを進めるうちに、 その足下に滔々と、さながら至福にみちて 刻々と退いていくあの水にとまるさま― リルケの詩より ベルギー象徴主義の画家レオン・フレデリックの「湖―淀み」では 生から死へ、死から生への絶え間ない循環を象徴的に表現しています。 この水面に浮かぶ白鳥たちは、 リルケのいうところの「ユーゲントシュティルの白鳥」なのでしょう。 |