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世紀末の画家と人間像
 
 
 

私は世紀末象徴主義者の描く美しい人物画が好きなのですが、
画家によって表現されるイメージは様々です。

私の最も好きなモロー作品の一つ「夕べ」に描かれている人物は、
中性的あるいは両性具有的な姿で描かれています。
初めて見たモロー作品「雅歌」はソロモンの雅歌に謳われた花嫁のイメージを描いたものですが、
現実の人間というよりも、女神か妖精のようです。
モローの描く人物はまさに夢の中の人物といった感じです。
これらの人物の住まう夢幻的な世界に、私はとても魅かれています。

ウォーターハウスの描く女性たちは、
たとえ女神や妖精であっても生身の肉体を持った女性のような感じがします。
「ヒュラスとニンフたち」の水の精(ニンフ)たちは、空気のように希薄な存在ではなく、
触れることのできる身体と意思を感じさせる瞳を持つ娘たちです。
人物の存在感をとても感じるのですが、モデルの個性が強烈ではないので、
同じモデルを使った別の作品を見ても、それぞれの作品世界の主人公として見ることができます。

ロセッティの場合、「ベアタ・ベアトリクス」では、ダンテの「新生」に登場するベアトリーチェを、
「プロセルピナ」ではギリシア神話に登場する黄泉の女神プロセルピナ(ペルセフォネ)を描いているのですが、
モデルの個性が強すぎるせいか、物語の登場人物ではなく、モデル自身の姿のように感じます。
他の作品で違う人物として登場していても、
あくまでエリザベス・シダルやジェイン・モリスという人物として描かれているように思えます。
ロセッティは物語のヒロインの姿を借りて、愛する女性の姿を描いたのだと思います。

「生命の天使」を描いたセガンティーニに見られる
ほかの画家たちと異なる特色は「母性」を感じさせる人物を描いていることです。
「生命の天使」に描かれた「母」としての天使の姿には惹きつけられてやみません。