ベル・エポックのパリ

1992年11月20日〜12月23日 高松市美術館

 

 
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、パリは最も華やかで魅力あふれる時代を迎えました。

「ベル・エポック(良き時代)」とは普仏戦争終結から第一次世界大戦が開戦するまでを指します。

この展覧会は約100点の作品により、当時のパリの雰囲気を再現しようとするもので、

パリ市と東京都の友好都市提携10周年を記念して開催されました。

 

 
展示構成


1.散策

ここではコンコルド広場、クリシー広場、リュクサンブール公園などに集う人々を描いた作品が展示されていました。


この時代上流階級から庶民に至るまで“グラン・ブールヴァール”(目抜きの大通り)をそぞろ歩きすることが流行しました。

グラン・ブールヴァールはパリ中心街北部にあった城壁をルイ14世が広い散歩道に変えたもので、

こうした散歩道は18世紀頃からはやり始めました。



2.スペクタクル

コメディ・フランセーズを初めとする、ベル・エポック時代の舞台芸術を題材とした作品が紹介されていました。

ベル・エポックを代表する演劇人といえば、サラ・ベルナールです。

「ジスモンダ」他4点のミュシャによるサラ・ベルナール主演作品のポスターや

オペラ歌手、バレエダンサーを題材にした作品が展示されていました。



3.娯楽

カフェやキャバレーの様子を題材にした作品や、シェレ、スタンラン、ロートレックなどの手による宣伝ポスターが紹介されていました。


この時代パリではカフェ・コンセール(音楽喫茶)と呼ばれる店が流行しました。

スタンランのポスターが有名な「シャ・ノワール」(黒猫)や、ロートレックのポスターで知られる「ディヴァン・ジャポネ」(日本の長椅子)など

多くのカフェ・コンセールがにぎわいました。

「ムーラン・ルージュ」(赤い風車)を初めとするダンスホールでは“カドリール”と呼ばれるダンスが披露され、のちに“フレンチ・カンカン”の名で世界に知られるようになりました。

キャバレー「ラパン・アジル」(すばしっこい兎)は、モンマルトルの丘に当時の姿で現在も残っています。


時代が下るにつれ、モンマルトルの下町は危険な場所となっていき、

大通りやシャンゼリゼの店が新たに紳士淑女の社交場としてにぎわうようになりました。



4.社交界

夜会の様子を描いた作品や、上流婦人の肖像画が展示されていました。


パリの社交シーズンは秋と春です。

社交シーズンになると上流階級の人々はサロン、晩餐会、舞踏会、音楽会、観劇、美術展、競馬など多くの行事をこなします。

サロンとは上流婦人が自宅で開催する会合のことで、芸術家や文学者なども招かれます。

サロンを開くためには企画力と実行力、魅力、外交的手腕、社交の作法の深い知識が必要とされました。



5.競馬

競馬場に集う紳士淑女を題材にした作品が取り上げられていました。


パリの社交シーズンは10月の競馬場の再開を持って始まり、翌年6月の「パリ・グラン・プリ」で終了します。

その間上流の人々は競馬が開催されるたびに競馬場へ出かけ、

特に春の大レースが開催される5月には、女性たちは奇抜な帽子と組になった新しい服を披露するなど、

競馬場は新しいファッションを広める場ともなりました。



6.カフェとレストラン

現在も高級レストランとして営業する「マキシム」を題材にした作品などが展示されていました。


19世紀、カフェは作家や画家のたまり場として、文芸サロンに取って代わられました。

1889年にはゴーギャンを中心とする綜合芸術グループが、展覧会をカフェで開催し、文学者の晩餐会もカフェで開かれました。

また英国式をまねた社交界紳士の参加するクラブの集会もカフェで行われました。



7.商業と広告

ミュシャ、シェレ、ロートレックなどの広告ポスターが展示されていました。


この時代商業の発展と印刷技術の進歩により、広告ポスターが盛んに制作されました。

ポスターは消費者を誘い、魅惑し、楽しませることを重視していました。



8.万国博覧会

ベル・エポックには1889年と1900年の2回、パリで万国博覧会が開催されています。


1889年の万博はフランス革命100周年を記念して開催されたものです。

このとき建設されたエッフェル塔に象徴されるように、産業の時代であった19世紀の進歩と近代性を確認する博覧会となりました。


1900年の万博は「電気の殿堂」を設けるなど、新しいエネルギーを旗印に掲げました。

この博覧会は19世紀の総決算であると同時に20世紀の前触れという意味を持っていました。

当時のパビリオンで現在も残っているのが、グラン・パレ、プティ・パレの二つの建物です。